豊かさと温もりの記憶麹が生み出すあたたかな甘酒の香り
2021.12.28
温もりを求めて
寒さに身をこわばらせながら、うつむき加減で歩くいつもの道。
つきあたりにある小さな神社から人々のあたたかな声とやわらかな甘酒の匂いが漂ってきて、ふと足が止まった。
どこか記憶をくすぐられるその匂いに、じんわりと身体を温められるような安心感を覚えるのは私だけではないかもしれない。甘酒のシンプルな香りに、こんなにあっさりと心惹かれるとは。実はもっと奥が深い飲み物なのではないか、そう思うともう少し知りたくなって、甘酒屋さんを探してみることにした。
命を救った夏の季語
歩みを進めると、今度は見上げるほどの大きな鳥居にたどり着いた。くぐるとそこは、平安神宮。異空間に入り込んでしまったような不思議な心地がする場所だ。頰にあたる冷たい風もどこか清らかに感じる。
そんな平安神宮の参道、神宮通を南にまっすぐ下がり、三条通を左に曲がって少し歩くと、軒先に“あま酒”の吊り下げ旗のあるお店が。「大阪屋こうじ店」というこのお店は、カフェ併設で、甘酒をアレンジした様々なドリンクやお食事も楽しめるようだ。
暖簾をくぐりお話を伺うと「(甘酒は冬の飲み物という印象が強いですが)実は甘酒は夏の季語なんですよ」と、店長の伊藤さんが教えてくれた。古くは江戸時代、冷やした甘酒を飲むことで栄養を補給し、厳しい暑さから命を救われた人が大勢いたという。
麹に湯冷ましを加えて寝かせておくと、麹菌がお米のデンプンを分解して糖に変えてくれる。そうして作る甘酒の味と香りは、麹の出来の良さを測る指標にもなるのだという。麹とお湯さえあれば自宅でも簡単に作れる。
京の老舗「大阪屋」
大坂の陣。当時大阪に住み豊臣に仕えていた「大阪屋」の祖先は京都島原まで逃げのびて、そこで一人の太夫と出会う。激動の時代、安寧を求めた祖先は太夫の故郷、舞鶴へと移り住み、「大阪屋」の名でお餅屋を創業したのが始まり。のちに麹づくりも兼業するようになり、文化元年「大阪屋こうじ店」として分家継承し今に至るそうだ。
長く麹を作り続けてきた大阪屋こうじ店。昔ながらの“煉瓦室上蓋製麴法(れんがむろうわぶたせいきくほう)”で、ひとつひとつ手作業で丁寧に仕上げてきた。煉瓦造りの室の中で、藁でできた布団のような上蓋、“薦(こも)”を使って、3日半かけてじっくりと作られる。様々な手法をこらしてきた中でも「(製麴)道具の材質は絶対に変えられないですね。製麴を取り巻く全ての素材が自然のものでないと、麹はうまく呼吸ができなくなってしまうんです。さらに四季のある日本で、一定の温度や湿度を保って上質な麹を作るのは、熟練の職人さんでもなかなか難しい仕事です」と伊藤さんは話す。
舞鶴の麹店に生まれ、幼い頃から麹と共に生活してきた伊藤さん。お話を伺っていると、製麴は作るというより育てるような感覚に近いのではないかと感じた。
「ただ美味しいものを、麹菌のしっかり付いた麹を作る。それを長いこと続けてきました」。自信を持って提供する麹は、手にしたお客様が、自身の家庭の味や好みの使い方にアレンジすることで、その可能性はどんどん広がってゆく。
「食が少しでも豊かなものであれば、人の心が荒むことってそんなにないんじゃないかな」
ご飯を作る、何かを育む、それは心豊かで優しいこと。
「カフェをするようになって、『ここでご飯を食べると幸せな気持ちになる』と言ってくれるお客様がいて。もとは麹や甘酒のいろんな使い方を広めるために始めたカフェだったんです」。麹という食文化を通して誰かに幸せな時間を提供できるということを、お客様が日々実感させてくれる。
香りの記憶
香りでくすぐられる記憶は多い。
地元の神社へ初詣に行ったときに飲んだ甘酒の香り。かじかんだ手の感覚や、新年を迎えることへのわくわく感、境内を駆けまわる子供たちの元気な声も蘇る。常にそばにあった香りというよりは、少し特別な時の思い出と結びついている。
では伊藤さんはどうだろうか。「自分が初めて育てた麹蓋(こうじぶた)の薦を開けた時に立ち上る、藁の香りと麹の温かくて甘い香り。お米に生えたふわふわの、お花みたいにほわっと咲いた菌糸が可愛く見えて。あの瞬間は絶対に忘れられません」麹店を継ぐと心に決めてから、初めて作った麹の香り。丹精を込めて麹を育てた職人にしか感じることのできない、持つことのできない、とても優しくて温かい香りの思い出がそこにあった。
暖をとる
家族とのんびり過ごす年末年始、大切な人たちと行った初詣。甘酒の香りから思い出されるのは、穏やかであたたかな時間だろうか。冬の屋台店を見るとつい一杯いただいてしまうのは、その味わいを楽しむだけでなく、呼び起こされる様々な記憶に温めてもらいたいからかもしれない。
温かな甘酒。優しくてやわらかな香りと、少し効かせた生姜のさっぱりとした風味。口の中に穏やかに広がるのはふんわりした甘味で、心に湧き上がるのは愛おしい記憶の数々だ。
「豊かなひとときをありがとう」そんな感謝の気持ちとともに、最後の一口をゆっくり飲み込んだ。