Seasonal Journey 〜Invitation for scent〜

果実に宿るかおり雨を旅する

2015.06.15

恵みの雨を楽しむ季節

今日も雨か……、ついついそんな思いで空を見上げてしまう季節がやってきた。しかし農作物にとっては、これから成長するための大切な恵みの雨。よく見ると、深い緑色の葉に落ちる雨粒が美しい。梅雨の到来。今年はこの短い季節を楽しむのも、良いかもしれない。

梅子黄-うめのみきばむ-

暦の上では6月16日から21日頃をそう呼び、季節の移ろいとともに暮らしてきた日本人。この繊細な感性に、あらためて感服させられる。青々とした梅の実は、だんだんに淡く黄色に色づき、うっすら愛らしい紅色が差してくる。和歌山県田辺市は、梅の産地。海が近く温暖な気候、そして日照時間が長いことが美味しい実を育むという。春から夏にかけて梅が、そして秋から冬にかけてはみかんが収穫される。5月中ごろから6月の初めに収穫されるのは、梅ジュースや梅酒に使われることの多い品種「古城(こじろ)」。青々としていて果肉がしっかりとしている。6月初・中旬にはいよいよ「南高梅(なんこううめ)」の収穫だ。南高梅は実が大きく柔らかいので、梅干しや梅酒につかわれる品種。鈴なりになった実がほんのり赤くなっていた。

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実に宿る香り

「古城の収穫が終わったら、次は南高。南高梅は完熟して木から落ちたものを収穫して漬けるのが一番美味しい。梅は落ちる寸前まで大きく成長し続けるから。青梅のままつけるより完熟した梅は風味がずっといいんだよ」。急斜面の梅園をすいすいと進んでいくのは、岡本豊穂(とよほ)さん。田辺で7代続く梅農家を営む。田辺の山あいには、連なる梅の木々の根元に青いネットが張られている。熟した梅が落ちたところを収穫するのが一般的な方法だ。だが、岡本さんは落ちる4-5日前にすべて自身の手で収穫する。梅を待っている人たちの手元に届いたときが一番の漬けどきになるように、という岡本さんの想いが、このひと手間にこめられている。「木になっている梅の実は香りがしないんですよ。収穫して2-3日、熟すとだんだんと香りがしてくるから、そのときが仕込みどきだよ」。花を愛でる種類の梅とは違い、南高梅の花もまた、あまり香らない。香りといえば梅と、そう昔から歌にも読まれてきた。ここでは収穫の時期を迎えた実に、その香りが宿る。

斜度およそ30度ほどの斜面になる梅の木々、うっすらと赤みをおびた実をもぎたくとも、なかなか、こちらの思いどおりにいかない。「ここに足を踏み入れた人は、あなたがはじめてだよ」岡本さんは笑って私を見守る。
あちらこちらに目移りしながら、宝の木に手を伸ばすような高揚感と共に、農家の方の苦労を知った。「収穫の時にはね、三脚にのぼって上の方にある実も全部取る。もうそれが楽しみなんですよ」ひとつふたつと、実を優しく枝から離しながら、岡本さんは楽しそうに話す。太陽に当たった面は赤く、裏は緑色。なるほど、まだ香りはない。

自然も人もおなじ

これが人間だったら、と岡本さんはいつも木をそう置き換え、育てているのだと話す。岡本さんの梅は、その土地の土と気候、木が本来持つ力や蜂などの手助けにより、花を咲かせ実をつける。そんな自然のサイクルを基本とした農法だ。養分を余計に与えたり、消毒で虫がつかないようにすると木の消耗も早いと教えてくれた。15年ほど前からオーガニックにこだわった生産をはじめ、自然農法に切り替えてからは、この5年ほどで軌道に乗ってきた。「自然農法を始めた時は失敗の繰り返し。それでも、自分の人生の中で出逢ったいろんな人が支えてくれたことが、 自分にしかできない梅づくりの原動力になっています」。息子さんたちが梅農家を継いでくれたら…そんな願いもこっそり話してくれた。「次の15年はね、息子たちをどう振り向かせられるか、それが試練」。やる、と決めてから今もこれからも、梅やみかん、そして息子さんたちとの対話は続きそうだ。

和歌山を後にしたあくる日も、雨。収穫した梅はだんだんと黄に色づき、香りを放つ。甘酸っぱく、やさしい。晴れ間に香るよりずっと、しっとりとしている。瓶に梅と氷砂糖をつめて、毎日すこし揺らしてなじませる。梅の香りたっぷりのシロップができあがる頃には梅雨が明けているだろう。今年は梅雨の長雨も楽しむことができそうだ。

SPECIAL THANKS

岡本農園 岡本 豊穂さん

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